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2018年3月

2018年3月13日 (火)

以上に芳枝をおどろ

かったが、この際、それについて文句を言うわけにも行かなかった。すこしまえに母は、僕が校友会費その他のほど馬鹿のくせに、活動写真のことなら何でも知っているんだから」なんて言ったりする。芳枝がいうことをよくきくこともたしかだし、いいつけられたことをすぐ忘れるのもたしかだ。けれども彼女が、いま何を思っているのかということだけが僕には全然わからない。いま彼女に僕が毎晩、寝床の中でかんがえているようなことをしてしまったらどうなるのか——、僕は茶の間へかえってつぶやいた。鴨居《かもい》の上で鈍い金色の振り子がだるそうにうごいている。不意に、ある思いで僕は胸がいっぱいになってきた。自分はだんだん年をとって行きつつある。いまの、たったいまもそうだ。やりたいと思うことがあったら、いまこそやっておかなくてはならない……。そう思うと僕は逆に勇気がわいてきた。案外、彼女にたのんでみたら、そのとおりのことを素直にやってくれるかもしれない。ただ、一つだけ心配なのは彼女がいらざる遠慮をしはしまいかということだ。そんな汚いところはお目にかけられません、などと……。だが僕は、すぐさまその対応策が頭のなかにひらめいた。
 一つの考案がすばやく組み立てられた。まず柱時計の振り子をとめ、ほぼその真下に寝ころぶのだ。フミ台を頭のうしろにおき、新聞紙を枕元に投げ出して、目をねむそうに半眼にとじる。用意はそれだけで充分だ。うまく行くかどうかはわからない。しかし自然な感じでめんど臭がっているように見せかけておきさえすれば、まずく行ったところで、どうということはないはずだ。
「芳枝」
 僕は寝ころんだまま大声で呼んだ。「時計のネジをまいといてくれないか。時間がわからないとこまるのだ。あしたから学校だから……」
 芳枝はすぐにやってきた。そして、
「もうそろそろ、とまるころだと思っていました」
 と言った。僕は顔を横の新聞紙の方へ向けたままで、フミ台を柱の下へおしてやった。芳枝は一瞬、とまどった様子だった。が、しめった足のうらで畳をふみつける音が、ほとんど耳もとまで近よってきた。僕は上眼づかいに彼女の片足がフミ台の上にかかるのを見た。芳枝は片手でゆかたの裾をさわった。僕は無論そんな動作をにくんだが、同時に彼女がお寺の奥さんのような下着をもちいていないことを確信した。
「ちょっと……」
 芳枝の口ごもる声が、頭の上からおりてきた。どいてくれ、というのだろう。僕はわざと横を向いたまま、怒っているようなウナリ声を出してやった。芳枝はついに両足とも台にのせた。うまい、と僕は思った。芳枝の両足が爪先《つまさ》き立つと、ゆかたの裾がゆれながら前の方へ垂れたからだ。ギリギリとゼンマイの巻き上る音がしはじめた。彼女の注意力は足もとには向いていない。僕は眼を上げた。だが、どうしたことだろう。そこには何もなかったのだ。仄暗《ほのぐら》い幕のなかには、ぴったりそろった二本の脚、それだけだ。僕はアッケにとられて失望するひまもないほどだった。……気がつくと、芳枝の怒った顔が眼の上にあった。
「いけません、坊っちゃん」
「わっ」
 怖ろしさと、恥ずかしさとに一度におそわれて、僕はおもわず声を上げると、そのまま二階の部屋まで、いちもくさんに逃げた。
 なぜ逃げたのだろう——。そう思ったのは、それから一時間ほどもたってからだ。——逃げないで、じっとしていて、つまらなそうにゆっくり眠るふりでもしたら、それでよかったのではないか。あんなふうに大声を上げれば、こちらが思っている以上に芳枝をおどろかせたにちがいないのだ。かんがえてみれば僕の考案は、やっぱり最初からまちがっていた。あんなことをしたのでは、もう僕は芳枝には何とたのみこんだところで、たのみをきかせるわけには行かない。後悔とともに僕はむしろ恥ずかしさが消えて、自分のやったことを振りかえる余裕がでてきた。いちばんいけないのは僕がいまだに自分を子供だと思いこんでいることだ。世間の人も、芳枝も、もう僕を子供だとは思っていない。——もし芳枝が僕のことを子供だと思っていたら、あんなに怒った顔はしないはずだ——。それなのに僕は自分が大人になりかかっている

2018年3月 9日 (金)

うの旅行公社から

べき神経ですな。われわれは乗せていただいているということらしい。社会主義国は、商売心がないので困りますよ。乗客は荷物とおなじあつかいなんですな」
 坂橋、会田の両老人が話しあった。前者は怒り、後者はあきれている。
「冗談じゃないよ。西も東もわからん場所へおきざりにされるなんて、まっぴらだよ。第一、あした飛行機が飛ぶかどうかもわからんじゃないか。へたをすると、三日も四日もここにいなくてはならんのだぞ」
 造園業者の藤倉がさけんだ。彼の妻は不安そうに夫に寄りそっている。
 アメリカ人の一行も、添乗員から説明をきいていた。さかんに不満の声をあげている。だが、お国柄なのか、とげとげしい雰囲気はなかった。世界中どこでもアメリカ人は歓迎される。そんな自信に彼らはあふれていた。
「みなさんのおっしゃることは、まったく正論です。そのとおりなんです。しかし、ここが中国であることも事実です。政府首脳から緊急の指令でもないかぎり、航空公社が決定をくつがえすことはありません」
 沢田の口調はすこし投げやりになった。
 ガイド稼業のあいだ、何度となくこんな事件に出会った。そのつど観光客の不満をおさえるのに苦労してきた。そんな経験が、日焼けした肌の汗になって光っている。しばらく彼は中国航空公社の身替りになって、一行の不満をうけとめねばならなかった。
「で、人選はどうするんですか。だれがのこるんです。沢田さん、あんたが代表してのこられたらどうなんでしょう」
 マンション経営者の老婦人がいった。その友人の老婦人もうなずいていた。
 彼女らがみんなのまえで積極的に発言したのははじめてである。表情がこわばっている。おきざりになるのがよほど恐いようだ。
「私がのこることには異存ありません。しかし、私がいないと、西安でみなさんのお世話にゆきとどかない面が出てくると思われます。それに、中国側の要求は二人です。もう一人はどなたがのこっていただけますか」
「康さんがおるやないか。その人は上海からいっしょについてまわってるだけや。たいして役に立ってないわ。おりてもらおう」
 坂橋老人がいった。さすがにこの提案には同調者がいなかった。
「それは困りますよ。添乗員と通訳がいなくなったら、西安に着いても身動きできません。買物一つできない。向うの旅行公社からどんな人がきてくれるかわからないし」
 柾木が反対意見をのべた。康通訳は他人事のような顔でやりとりをきいている。
 結局、沢田とだれかもう一人、男性が信陽へのこることになった。沢田がくじびきの支度をはじめた。葉子の父はまだ安静が必要なので、くじから除外したい。沢田が提案した。だが、本人が了承しなかった。
「わしは不注意で怪我をしたんです。自業自得ですけに、特別待遇は困ります。それに、もう傷もべつに痛みはせんので——」
 昭和十七年から十八年にかけて、日本軍は中支において大別山作戦をおこなった。
 そのおり、この信陽は最奥の攻撃目標とされていた。大別山は、信陽の南西、ながさ四百キロにおよぶ山脈である。この山中にひそむ中国軍を日本軍は攻撃したのだ。
 だが、それほど大規模な作戦ではなかった。山中の敵約四千名を倒して、日本軍はひきあげた。信陽の市街には、日本兵による被害はなかったはずだという。